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星野氏墓所
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星野氏は、嘉録2年(1226年)にこの地に入封(「星野家譜」では貞応2年(1223年)のことという)して、本星野に館居を構えて以来、18代にわたって生葉郡(現在のうきは市と星野村の区域)に勢力を持ち続けました。
天正14年(1586年)星野鎭胤(吉実)と鎭元(吉兼)兄弟が高鳥居城(現粕屋郡)で討死したことから、一族は離散してしまいました。
明治22年5月、星野氏末裔の人たちによって、本星野の星野氏館周辺に離散していた墓塔類が集められて、「星野氏累代の墓」碑が建立されて、今に有縁の人達により供養が続けられています。
平成20年3月
旧星野村教育委員会
(現八女市指定文化財 史跡)
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