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玉水山大圓禅寺(曹洞宗)
【征西将軍宮懐良親王ならびに勤王星野氏累代の菩提所】
玉水山大円寺<玉水山大圓禅寺(曹洞宗)>
玉水山大圓禅寺(曹洞宗)
 創建は神亀2年(725年)で、かっては太宰府観世音寺の末寺として、この地の領田の管理掌握に当たっていました。天正年間には村内に11の下寺をもち、大きな勢力を持っていました。
 創建期の奈良時代には、律宗や成美宗の時期もあったようですが、平安時代の天長九年(832年)に真言宗となり、さらに鎌倉時代の弘安二年(1279年)になって大慈寺(熊本県熊本市)を開いた寒厳義尹禅師(順徳天皇の皇子)によって曹洞宗となり、今日に至っています。 鎌倉時代のはじめ、星野氏初代の胤実公が入封以来は、一族の菩提所として七堂伽藍と光照院、宰領院、廣厳院、起塔院、曇林院、松月院、香月院、優長院の八院を構えて、さらに郷内各所に光延・高徳庵、縫尾・高雲庵、中原・梅林庵、尾原・千福寺、小野・宝正寺、本星野・佛光寺、千々谷・法福寺、仁田原・岡笑庵(息笑庵)、加矢原・千手庵、浦・開蔵庵など数多くの末寺を擁していました。  延元3年(1338年)、征西将軍に任ぜられ九州に下向された懐良親王は、一時九州の北朝方を鎮圧されましが、建徳2年(1371年)、九州探題として西下した北朝方の今川了俊との高良山での攻防戦をさかいに勢力が衰退し、天授3年(1377年)4月、大円寺(星野御所)に退かれました。
 良成親王に征西将軍職を譲られた後も、この地で南朝方の統率をされていましたが、弘和3年(1383年)3月27日、大円寺で死去されました。御年、55歳でありました。


             (現八女市指定文化財 史跡)
玉水山大円寺<玉水山大圓禅寺(曹洞宗)>

玉水山大円寺<玉水山大圓禅寺(曹洞宗)>
 玉水山大円寺 本堂

玉水山大円寺<玉水山大圓禅寺(曹洞宗)>
 菊の紋

大圓禅寺(歴史資料館)
玉水山大円寺<玉水山大圓禅寺>(歴史資料館)